Takuya in Roma

出張中1日限りの「Takuya's Roman Holiday」

今回の出張で唯一の休日をローマで過ごします
まさにローマの休日です
治安の悪さが有名なこの街ゆえパスポートだけはがっちりとキープし繰り出しました
もう一度この街に着たいと願うならまずはここ、トレビノ泉です
朝早いためでしょうか、超有名な観光場所なのにほとんど人がいません
ラッキーとばかりに写真を撮りまくりです
でも何か変なのです???
しばしの撮影を楽しみ次の目的地へと行こうとした時、どこからともなく9時を告げる鐘の音が聞こえてきます
するとザーッっという音と共に水が溢れ出しました
そうです、泉に水が流れていなかったのです
もう少し早くこの場所を去っていれば枯れた泉だけで終わっているところでした
とてももう一度ローマになんて夢どころではありません
なにやら胸騒ぎのするRoman Holidayの始まりです
トレビの泉で撮影に余念がない3名の美人を発見しました
まだ水が溢れていない早い時間からポーズを決めています
観光客を避けて早い時間に来たのか、それともオレと同じように気付いていないマヌケなのかそれは不明です
ひとしきり撮影をした後、泉を後にしていました
それが水の湧き出る前だったのか後だったのかは定かではありませんが、この後、行く先々で彼女たちに遭遇しました
ということは単なる「おのぼりさん」だったのでしょう
写真の右端に写りこんだ男性もカメラの液晶ではなく彼女に目が行っています・・・
トレビの泉を後にし次の目的地へ向かいます
「地球の歩き方」をケツポケットに突っ込んでひたすら歩きます
途中で出くわすのはいかにも由緒ありそうな建造物の数々
とりあえず写真を撮り、地球の歩き方をパラパラめくる
この作業の繰り返しをしながら次へと歩を進めます
ひたすら歩き続けやっとスペイン広場に到着です
Roman HolidayでAudrey Hepburn演じる女王がジェラートを食べたシーンで有名ですね
その影響かどの観光ブックを見ても階段には人が溢れています
今日は時間が早いせいかほとんど人影はありません
このような写真もめずらしいのではないでしょうか
ん?
写真左になにやら見覚えのある人影が
ひょっとして・・・
あの女性たちでした
ここでもモデル並みにきっちりポーズを決めています
う〜む この先どれくらい一緒になるのでしょうか???
スペイン広場にあるバルカッチャの泉です
別名「船の噴水」だそうです 見たまんまです
地球の歩き方によると「作者のベルニーニはローマのバロックの立役者ジャン・ロレンッオ・ベルニーニの父に当たる」とか(全然知りません…)
溢れ出すのは処女の水と呼ばれる良質な水だそうで、なんでも紀元前19年にローマの北東12kmの場所からはるばる引かれているとか!
やはりローマは偉大です
下から眺めているばかりではつまらない
いよいよ階段を登っていきます
振り返ると眼下には船の噴水
そしてその向うにはローマで一番の高級ショッピングストリートVia Condotti(コンドッティ通)が伸びています
丘の上までもう少しです
登りきりました
トリニタ・デイ・モンティです
二つの鐘楼が特徴的です
やはり建物だけでなく階段があったほうが映えますね
丘からの見晴らしです
前日までは曇天続きだったのですが今日ばかりはとてもいい天気です
日ごろの行いでしょう…
日本ではなかなか見ることのできない真っ青な空と心地好い風を感じながら次の目的地へと歩を進めます
スペイン広場を後にし、一直線に伸びるバブイーノ通り抜けポポロ広場に到着しました
この広場は巡礼者のローマへの入口に当たる場所です
写真奥に見えるフラミニオ門(現在のポポロ門)の内側に位置する広場で、巡礼者はここで身元を調べられ、税を納めて無事市内に入ることを許されたという(地球の歩き方)
ポポロとは「市民」という意味らしいです
中央にはオベリスクが真っ青な空に突き刺さっています
まずはオベリスクに行ってみましょう
薀蓄
「紀元前31年、クレオパトラとアントニウスを倒し、エジプトを征服したアウグストゥスがヘリオポリスの太陽神殿前から持ち帰った2本のオベリスクのうちの1本。
エジプトの王ラムセス2世の功績がヒエログリフで掘り込まれた紀元前1300年のもの
高さ24m(台座を含めると36.5m)で、アウグストゥスはこれを、キルクス・マクシムスの中央分離帯に標柱として立てた
その後、1589年に法王シクストゥス5世がフォンターナに命じてキルクス・マクシムスに立っていたオベリスクをポポロ広場に移建させた」
というものらしいです

高さといい歴史の重さといい圧倒されるばかりです
台座の周りでは待ち合わせと思われる人がいます
「渋谷のハチ公前でね」がローマでは「ポポロのオベリスク前でね」となるようです
オベリスクからポポロ門を正面に右手を見るとピンチョの丘です
あそこに登れば眺めがよさそうです
早速行ってみます
坂道をひたすら登りやっとたどり着きました
驚いたことに、道中また例の美女3人組に遭遇しました
坂道の途中でやはりポーズを決めていました…
さすがに彼女たちを撮るのはもう飽きています
ここピンチョの丘からはポポロ広場はおろか、ローマを一望の下に見渡すことができヴァティカンのクーボラも見えています
十分眺望を楽しみましたので、広場へと戻ることにします
ポポロ広場まで降りてきました
下りは楽ですね
これがフラミニオ門(ポポロ門)です
昨日までの曇天とは打って変わり真っ青な空です
コンデジ故、PLフィルターは使用していません
にもかかわらずこの青さ!
地中海気候とはこのような空をもたらすのでしょう
さて、次の目的地を目指しそろそろポポロ広場を後にします
ポポロ広場から次の目的地に向かうにはほぼ南に真直ぐ伸びる通りのどれを選択してもOKそうです
もちろん距離は違いますが、3本なら王道の真ん中を行きます
進み始めてすぐゲーテの旗がはためいています
なに?
地球の歩き方をめくると「ゲーテ博物館」とのこと
重厚な扉です
時間もないしそのうちゲーテに出会うこともあろうかと潔くあきらめ歩を進めます
暫く歩くと右手に歴史を感じさせる建造物が
すぐさま地球の歩き方を拡げます
「アウグストゥス帝の廟」です
解説を読むとアウグストゥス帝も安らかには眠っていられない歴史を経てきたようです
ローマを歩いていると多くの噴水に遭遇します
少しだけ気を付けていれば、いや付けていなくても高くそびえるオベリスクは嫌でも目に入ってきます
何でもローマには13本のオベリスクがあるとか
これは「モンテチトーリオ広場のオベリスク」です
少し歩いては歩を止める
そんなローマ散策です
晴天の中、汗ばみながらやっとパンテオンに着きました
「現存するローマ建築の完全な遺構」「パンテオンとは全ての神々の」という意味(地球の歩き方)だそうです
詳しくは解説書に譲るとして、到着したのはお昼頃
早朝(?)だったトレビの泉からは想像できないほど人が溢れています
路地を曲がって見えた瞬間から歴史の重みがズンズン伝わり圧倒されます
意外と広場は狭く、周りにはいくつものカフェが軒を連ねています
ここで一休みしながらのんびりとパンテオンを眺めます
Pantheonのカフェで一休みした後、西へと歩を進めナヴォーナ広場に到着しました
ここは古代ローマの競技場だった場所で、なんでも3万人もの観衆を収容できたとのこと
広場には所狭しと多くの画家たちが自分の描いた絵を販売しています
有名な噴水がありますので、じっくりと見て回ることにします
ナボーナ広場中央にオベリスクを掲げるひときわ大きな噴水「四大河の噴水」があります
円形の大きな水盤の中央に岩が盛り上がり、岩ノ下の空洞からは様々な動物が水を飲みに姿を現している
上に乗っている像は「ナイル」「ガンジス」「ドナウ」「ラプラタ」の四大河を表しキリスト教が世界に君臨することを表しているとか(by地球の歩き方)
う〜ん、確かに迫力ありますね〜っ
ナヴォーナ広場を堪能し、次の目的地へと向かいます
北北東に伸びる V.Zaragdelliを進むとすぐにTevere(テヴェレ川)に架かるP.te Umbetoro T橋に着きます
橋の向こうに見えるのがPal. di Giustiziaイタリアの最高裁判所です
橋を渡り、最高裁判所を正面に見ながらテヴェレ川沿いに左に曲がり進みます
ローマは物騒だと聞いていましたが、幸いにもこれまでそれらしき人には出会いませんでした
ところが・・・
ここにはジプシーの露店が延々と続いています
決して目を合わせないようにさっさと歩を進めます
そしてたどり着いたのが「サンタンジェロ城」です
2世紀の初めにハドリアヌス帝が自分自身とその後のローマ皇帝の霊廟として造らせたものだそうで、カラカラ帝までの皇帝がここに埋葬されたそうです
内部の見学ができるようなのでもちろん入ってみることにします
天使Angeloの名が付いたのは、ローマにペストが猛威を振るった590年のある日、法王グレゴリウスTを先頭に歩いていた行列がこの近くにさしかかったところ、天使ミカエルが空に現れて疫病の収束を告げたことに由来するそうです(地球の歩き方)
内部はMuseo Nazionale di Castel Angelo(サンタジェロ国立博物館)になっています
ハドリアヌス帝の時代に造られた螺旋状のスロープを下ると中世に牢獄として使われた通風孔があります
「天使の中庭」にはかつて兵器であった大理石の玉がそのままに置かれています
かつてはヴァティカンと城を結んだとされる通路(Passetto)も良く分かります
サンタンジェロ城から通じる秘密の通路を通るわけにはいきませんので、正攻法でヴァティカンへと向かいます
ひたすら真直ぐ西へと伸びるコンチリアツィオーネを進みます
朝から歩きっぱなしなので少しばかり疲れてきましたが、ローマを征服するには弱音など吐いている暇はありません
正面に見えるサン・ピエトロ大聖堂を目指し世界中から集まったおのぼりさんと並んで歩を進めます
抜けるような青空に284本の柱が聳え立つサン・ピエトロ広場にやっと着きました
楕円形の回廊は長径240mもあるそうです
回廊の上に見えるのは歴代の法王と聖人の像です
この広場はバロックの巨匠ベルニーニによって設計され、30万人を収容できるとのこと
コンクラーベの時には「天使と悪魔」のシーンのように人が溢れるのでしょうね
カトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂
ローマ時代には共同墓地で、64年頃サン・ピエトロ(聖ペテロ)が異教の罪でネロ帝によって逆さ十字架に架けられた場所でもあります
サン・ピエtロ殉教の跡地にはオベリスクが置かれています
その後、キリスト教を公認したコンスタンチヌス帝は、サン・ピエトロの殉教の地に聖堂を建てさせ聖ペテロの遺体を聖堂地下の墓に埋葬しました
こうして、サン・ピエトロ大聖堂の前身であるコンスタンチヌス帝の聖堂の工事が始まりました
その後、紆余曲折を経て1546年ミケランジェロが設計に就任し中央に巨大なクーポラ(円形屋根)をのせる計画を立て、ミケランジェロの死後、1626年ウルバヌス8世によって献堂されました
大聖堂正面の柱廊へと続く前階段はベルニーニ作だそうです
柱廊上には9つのバルコニーが並び、中央のバルコニーは祝福の開廊と呼ばれコンクラーベで新しい法王が選出されるとここから発表されるしきたりです
(「天使と悪魔」にもこのシーンが登場していましたね)
ファサード上部にはキリストとヨハネ、ペテロを除く11使徒の像が立っています
サン・ピエトロ大聖堂は内部の見学ができます
ヴァティカンに来たからには内部を観ずに帰られようか!と思っていたのですが、入口に向かう人人人・・・
これに並んだのではこれから先の予定がどうなってしまうのか分かりません
泣く泣く諦めることにしました
トレヴィの泉でコインを投げましたからきっとチャンスはあるでしょう
さらばヴァティカン!
ここまでずっと歩きっぱなしで疲れてきました
ローマの道は石畳なのですが、フラットではなく長い年月の間にボコボコになっています
これが効くのです
ヴァティカンを出ると観光バスが目に止まりました
「ROMA CRISTIANA」 24時間乗り放題で€16、ローマの観光地を周遊します
結構高くおまけにローマ滞在は本日まで
少し悩みましたが疲れには勝てません
2階建てバスの2階に乗り込み次の目的地へと向かいます
2階建てバスからの眺めは上々です
さすがローマです
次々に遺跡が目に入ってきます
「地球の歩き方」首っ引きですが、見つかる間もなくバスは進んで行きます
バスはローマの名所を巡ります
なにやらいわくありそうな建物に近づいてきました
Monumento a Vittorio Emanuele U
ローマのランドマークとも呼ばれる ヴィットリオ・エマヌエーレU世記念堂です
イタリア統一の立役者、初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレU世の偉業を記念して建てられました
中央に立つ騎馬像はエマヌエーレU世、台座にはイタリアの主要都市を表す寓意像が彫られています
その真下にに右手を上げて立つのは「ローマの像」、左側には「労働の勝利」、右側には「祖国愛」の群像が並んでいます
オレの感動をよそに、バスは事務的に次の目的地へと淡々と進みます
Palazzo del Quirinale
傭兵が立つここは、クイナーレ宮です
1550年、枢機卿Ippolito D'Esteが丘の頂上に整備した館が始まりだそうです
その後、法王の夏の滞在地となり、1592年にClemente Zは完全にここに移り住みました
歴代法王の滞在は1870年まで続いたそうですが、イタリア統一後は王宮となり、1947年に共和制が敷かれてからは大統領官邸として使用されています
Giorgio Napolitanoもここにいるのでしょう
個人的には Silvio Berlusconiに会いたいです!
やっと次の目的地に着きました
バスを降りてしばし歩きSanta Maria in Cosmedin(サンタ・マリア・コスメディン教会)に到着です
なんてことないいたって普通、いやこれまで見てきたものからすると「しょぼい」部類の教会に見えるのですが、コスメディンとはギリシア語で「装飾」を意味するそうです(コスメの語源でしょうか?)
ここにかの有名な“ブツ”があるのです
入口を入るといきなり行列があります
「教会の奥深くまで続いているのだろうな」と思い、最後尾に並びました
しかし、すぐそばにその“ブツ”はありました
「有名なものは人目につかないように教会の奥深くにある」のだろうというセコイ日本人の考え方がみごとに裏切られました
柵越しで外から見えるところに何気なくあるのです
行列のほとんどが日本人 いわゆるオネーチャン達です
「嘘を言った者がこの口に手を入れると手を食べられてしまう」という中世の言い伝えを確かめようと大嘘つきのオネーチャン達が楽しそうに手を入れています
「食べられてしまえ!」などとふとどきな思いを抱きながら並んでいると「写真とってもらえますか?」というリクエスト
今までの思いはどこへやら、にこやかにシャッターを押すオレ
やっとオレの順番が来て手を入れた瞬間、見事に食いちぎられてしまったことは言うまでもありません
俺の手を食いちぎったヤツです
こいつの正体は海神トリトーネだそうで、古代の井戸か大下水溝クロアーカ・マクシマの蓋であったのではないかと言われています
このアングルからはあまり見たことがないので“パチリ”
これは教会の外から撮りました
以前書いたように柵越しに簡単に見ることができるのです
有難いものがそのへんに何気なくあるというのがローマの魅力なのかもしれません
真実の口を後にし、次の目的地へとひたすら歩きます
デコボコの石畳が足を痛めつけてきます
「フォーラム」の語源はForoだそうで、古代ローマ時代には市民の集会や裁判、商業、政治討論の場としての公共広場・古代ローマ発展の中核でもあったそうです(地球の歩き方)
その入口へとたどり着きました
入るには€9.00が必要です
この時は、良くわかっていなかったので少々高いかな?と思い躊躇しました(勉強不足とは怖いものです ここで止めていたら後悔してもしきれない羽目になっているところでした)
今まで見てきたところはCastel Sant' Angelo(€8.50 後で思えばかなり高い!)以外、お金は必要ではありませんでした
「お金を払うのだからそれだけの価値はあるだろう」と高を括り入場券を購入、いよいよ突入します
入口を抜け、石段を登ると一気に古代ローマ帝国にタイムスリップします
先ず目にはいってきたのは馬場として使用されていたと言われているスタディオです
周囲は2層の柱廊で囲まれ、内部には「テオドリックの囲い」と呼ばれる楕円形の壁が残っています
81年 帝位に就いたドミティアヌスはラビリウスに命じてパラティーノの丘に一大宮殿を造営させました
このドムス・フラヴィアは公邸として使われ、中央には八角形の噴水が飾られた中庭があったそうです
中庭の両脇には「皇帝の広間」とトゥリクリニオと呼ばれる「正餐の間」があったそうです
ドムス・アウグスターナはドミティアヌス帝の私邸です
残っている部分はわずかで宮殿の構造を知ることは困難なようですが、その威容から破格の規模であったことは確かなようです
皮肉なことに15年の歳月を経て宮殿が出来上がったその年、ドミティアヌス帝は刺客の手により暗殺されたそうです・・・
素晴らしい眺めです!
今回のローマ散策で一番の眺望に間違いありません
パラティーノの丘はフォロ・ロマーノの南側に位置し、ローマの政治や経済などに力を持つ貴族や有力な家柄の人々が住む住宅地だったそうです
帝政時代にはいると皇帝たちもこの丘の上に次々に邸宅を造ったようです
右手奥には、「ティトゥスの凱旋門」「コロッセオ」なども見えます
丘の向こうにある巨大な建造物は「マクセンティウスのバジリカ」です
マクセンティウス帝が建て始めコンスタンティヌス帝によって完成しました
3つの廊からなり会堂の屋根は大理石、内部はスタッコで造られた格天井で覆われるという豪華な造りだったそうです
素晴らしい眺望を堪能しましたので、丘を下っていくことにします
聖なる道の終点に建つこの凱旋門はヴェスパシアヌスとその息子ティトゥスのエルサレムでの戦勝を記念して81年に造られたそうです
写真ではずいぶんと立派に見えますが、威容はさほどでもありません
パラティーノの丘を下りコロッセオがだんだん大きく見えてきました
疲れているのですが心なしか足取りも軽くなったような気がします
高さ28m、315年建造のローマ最大の凱旋門「コンスタンティヌスの凱旋門」です
ミルヴィオ橋の戦いで、コンスタンティヌス帝がマクセンティウス帝に勝利したことを記念して建てられました
装飾には、トラヤヌス、ハドリアヌス、マルクス・アウレリウスの建造物から持ってこられたものも多いそうです
見事なまでの威厳を保ちながら空高く聳え立っています
門をくぐると(鉄柵が張り巡らされているので実際にはくぐれませんが・・・)コロッセオです
「コロッセオがある限りローマも存在するだろう
コロッセオが崩れるとき、ローマも終りとなろう
が、ローマが終わるときは、世界の終りだ」
ローマを言い表した12世紀末の有名な言葉です
それから800年の歳月が流れましたが、ローマもコロッセオも健在です
その壮大な姿にはただただ圧倒されるのみです
コロッセオは、ヴェスバシアヌス帝の命で72年に建造が始まり、その息子ティトゥス帝の時代に完成しました
皇帝の名をとって当時はフラヴィオの円形劇場と呼ばれたそうです
長径188m,短径156m,周囲527m,高さ57m,収容人員5万人という文字通り「巨大(コッロッサーレ)」な建築物です
ただし、本当の名の由来はここにネロ帝の巨像(コロッソ)があったことが真相のようです
落成の際には、映画でおなじみの剣闘士や猛獣の殺し合いをはじめとする催しが100日間も(!)続いたといわれます
これは、このような見世物を提供することで庶民の人気を稼ぎ、社会に山積する問題から目をそらさせるという支配者の政策でした
キリスト教が公認された後、これらの血なまぐさい見世物は次第に下火となり、6世紀の半ばには廃止されました
このコロッセオも例に漏れず格好の建築資材提供の場となり、表面を覆っていた大理石や上階部分の石材が持ち去られることになってしまったそうです
(地球の歩き方)
ここも世界中のお登りさんたちであふれています
4層からなる外観は、下の層から「ドーリス式」「イオニア式」「コリント式」の柱で飾られ、内部の観客席がその身分性別により仕切られていたそうです
現在では競技場の床部分は失われ、地下構造が見えるようになっています
先ほど購入した €9.00のチケットにはコロッセオの入場も含まれています
早速、入ってみることにします
え?あれれ??
何故か入口が閉ざされているではありませんか!
係員にチケットを見せ「入れろ」と言ってみますが、「ノ」という返事
あろうことか入場時間を過ぎていました!
なんというマヌケ、スカタン野郎なのでしょうか
バチカンでサンピエトロ大聖堂の見学を泣く泣く諦めやってきたのに、ここにきてこのような悲劇が待っていようとは夢にも思いませんでした…

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